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寿司ネタ~甘エビ編~― “甘い海の宝石”が寿司の舞台に現れるまで ―

はじめに

寿司のネタとして、いまや定番中の定番となった「甘エビ」。
とろけるような舌ざわりと上品な甘みで、多くの人々を虜にしています。
しかし、この「甘エビ」、実は古くから寿司のネタとして存在していたわけではありません。

江戸前寿司が誕生した江戸時代には、甘エビはその姿すら東京の市場に見られなかったのです。
なぜ甘エビは寿司ネタとして全国的に広まり、今では“海のスイーツ”と呼ばれるまでになったのか?

その答えは、海の環境、漁業技術、流通革命、そして食文化の変遷にありました。
今回は、甘エビの過去・現在・未来を、寿司文化の中でたどっていきましょう。

1甘エビとはどんなエビ?

「甘エビ」は一般的な呼び名で、正式には ホッコクアカエビ(北国赤海老) といいます。
学名は Pandalus eous。
北太平洋の寒冷な海に生息し、水深200~500メートルの深海で生活しています。

特徴はなんといっても、透明感のある紅色の身と、強い甘み。
この甘みは、死後すぐに身の中のグリシン(アミノ酸の一種)が増えることによるもので、「生きている時よりも、死後の方が甘くなる」珍しい海老として知られています。

また、雄として生まれ、成長すると雌に性転換する「雌雄同体」の生物でもあります。
この自然の不思議も、甘エビという存在をより魅力的にしています。

2甘エビの主な産地

日本国内では、日本海沿岸が主産地です。
特に有名なのは、
  • 北海道(日本海側・オホーツク海側)
  • 新潟県(佐渡沖など)
  • 富山県(富山湾)
  • 石川県(能登沖)
  • 福井県(越前沖)
中でも富山湾の甘エビは、極上品として全国の寿司店から評価されています。
水深1000m級の海底谷が近くにあるため、栄養豊富で、身の締まりと甘みの強さが群を抜いています。

海外では、ロシア(オホーツク海・カムチャツカ半島)、カナダ東岸、アイスランド周辺などでも漁獲されています。
日本の市場に並ぶ甘エビの多くは、北海道・日本海産ですが、輸入品も増えています。

3昔の寿司にはなかった「甘エビ」

江戸前寿司が生まれた18~19世紀、東京(江戸)で食べられていたエビは主に**クルマエビ(車海老)**でした。
温暖な東京湾で獲れ、茹でて赤くなった車海老は“粋”の象徴。
江戸前寿司の代表格として親しまれました。

一方、甘エビは北国の深い海に棲むため、江戸の人々が目にすることはほとんどありませんでした。
生息域がまったく異なり、冷蔵技術がない時代には輸送も不可能だったのです。

つまり、甘エビが「寿司ネタ」として登場するには、流通革命と冷凍技術の発展を待たなければなりませんでした。

4甘エビが寿司に登場したのはいつ?

戦後まもない頃、日本は急速に冷蔵・冷凍技術を発展させました。
1960年代には、冷凍輸送網が全国に広がり、北陸や北海道の魚介が東京や大阪へ出荷されるようになります。

この時、初めて「北の海の恵み」が寿司のカウンターに並ぶようになりました。
中でも、透明感と甘さで印象的だった甘エビは、たちまち人気を集めます。

しかし当初は、
  • 「江戸前ではない」
  • 「柔らかくて握りにくい」
と敬遠する職人も多く、関東ではなかなか定着しませんでした。
転機となったのは**回転寿司の普及(1970年代~)**です。
全国チェーンが地方のネタを積極的に採用し、冷凍甘エビが安定して流通するようになると、一気に“甘エビ=寿司ネタの定番”というイメージが広まりました。

今では「サーモン」と並び、女性人気No.1の寿司ネタとして不動の地位を築いています。

5甘エビの味と特徴

甘エビの最大の魅力は、やはりその甘さです。
この甘みは、身の中に含まれるアミノ酸(グリシン・アラニン・タウリンなど)によるもので、人間の舌が感じる“自然な甘味”として際立ちます。

さらに、舌に絡むようなとろける食感も特徴。
加熱すると柔らかくなりすぎるため、基本的には生で提供されます。

寿司としての甘エビは、
  • 体が小ぶりで、
  • 身がやわらかく、
  • シャリと舌の間でとろける。
この上品さと軽やかさが、まさに“海のスイーツ”と呼ばれる所以です。

6「甘エビ」という名前の由来

「甘いから甘エビ」――それだけではありません。
実はこの名前、市場用語として比較的新しいものです。

もともとは「北国赤海老」などの名で呼ばれていましたが、消費者にわかりやすく、イメージを柔らかくするため、1970年代以降に「甘エビ」という呼称が広まりました。

この“ネーミング効果”も人気拡大の要因です。
同じエビでも、「北国赤海老」より「甘エビ」の方がずっと美味しそうに感じますよね。

7甘エビの寿司としての役割

江戸前の「車海老」が豪華さと力強さを象徴するのに対し、「甘エビ」は繊細で柔らかな“癒し系”のネタ。

そのため、
  • コースの中盤で口をリセットする
  • 脂の多いネタの後に挟む
  • 女性客へのサービスネタとして提供
といった使い方が一般的です。

また、卵を抱いた「子持ち甘エビ」は、旬の象徴として寿司職人にも好まれます。
透明な卵が身の下に透ける姿は、まさに自然の芸術品。

8日本人と甘エビの関係

甘エビは、北陸地方では古くから「海の幸」として親しまれてきました。
富山や新潟では、生ではなく“塩辛”や“干物”にして保存する習慣もあり、長い冬を越すための貴重なタンパク源でした。
つまり、寿司ネタとして登場する前から、日本人は甘エビを食べていたのです。
ただし、それが全国区になったのは、寿司という舞台を得てからのこと。

寿司が「地方の味を全国へ広げる文化」であることを象徴する存在でもあります。

9世界に広がる「Sweet Shrimp」

いまや甘エビは、日本だけでなく世界中の寿司店で見られるようになりました。
英語では “Sweet Shrimp” と呼ばれ、海外では“raw shrimp sushi”の代表格です。

特にアメリカ・カナダ・北欧などでは、冷凍技術の発達により高品質な甘エビが流通し、寿司や刺身だけでなく、パスタ・サラダ・前菜にも使われています。

その一方で、北米やヨーロッパでは、甘エビは「持続可能な漁業対象」として注目されています。
日本の漁獲に比べ、ノルウェーやカナダでは**トレーサビリティ管理(漁獲履歴の明確化)**が進んでおり、サステナブルシーフードの一角を担う存在となりつつあります。

10甘エビの旬と鮮度管理

甘エビの旬は地域によって異なりますが、
一般的には 秋から冬(9月~翌年2月) にかけてが最も美味しい時期です。

この時期は、身に脂が乗り、卵を抱く個体も多く、甘みと旨味が最高潮に達します。
ただし、甘エビは非常に足が早い(腐りやすい)食材。
漁獲後すぐに氷で締め、冷凍処理を施さないと黒変してしまいます。
寿司店では、冷凍から解凍する温度と時間が仕上がりを左右します。

職人たちは、「甘エビは冷たく出すより、わずかに温度を戻して出す方が甘みが立つ」という微妙な感覚で、素材の魅力を最大限に引き出しています。

11これからの甘エビ ― 資源と未来

近年、世界的に甘エビの漁獲量は減少傾向にあります。
原因は海水温の上昇や海洋環境の変化。
冷たい深海を好む甘エビにとって、温暖化は大きな脅威です。

そのため、国内外で
  • 漁獲制限の導入
  • 禁漁期の設定
  • 資源調査の強化
などが進められています。

一方で、養殖や蓄養の研究も進められています。
現時点では難しい技術ですが、近い将来、人工的に育てた甘エビが寿司店に並ぶ日が来るかもしれません。

12甘エビの新しい可能性

現代の料理界では、甘エビは寿司にとどまらず、多様な表現で使われています。
  • 甘エビのカルパッチョ
  • 甘エビの昆布締め
  • 甘エビの味噌汁・潮汁
  • 甘エビの殻でとった濃厚スープ(エビ出汁)
  • 甘エビの油(オイルソース)
そのどれもが、繊細な香りと自然な甘みを生かした一皿です。

また、最近では海外のトップシェフが、甘エビを「日本の海の高級食材」として採用する例も増えています。
その透明な赤身は、世界の食文化の中でも新しい美しさを放っています。

13甘エビと寿司の未来

寿司文化は常に変化しています。
新しいネタが登場し、時代の味覚が更新される中、甘エビは“新しさと普遍性”を兼ね備えた珍しい存在です。

伝統的な江戸前寿司にはなかったが、現代の寿司には欠かせない。

それこそが、寿司という食文化の柔軟さと進化を象徴しています。

14まとめ ~「甘エビ」が教えてくれること~

甘エビは、ただの“ネタ”ではありません。
そこには、
  • 北国の自然
  • 漁師の知恵
  • 科学の進歩
  • 職人の技
  • そして食べる人の感動
――すべてが詰まっています。

寿司は「伝統の味」だけでなく、「時代を映す味」でもあります。
甘エビは、まさにその架け橋となった存在。

江戸前ではなかった甘エビが、今や世界の寿司カウンターを彩る時代。
その歩みは、日本の食文化の柔軟さと、海の恵みへの感謝の証なのです。

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